🏠家作り👪人作り

家や家族のダイアリーや仕事や諸々…感情の赴くままに。

スペインかぜとコロナ

今冬のボーナス、例年よりかなり減額。


精神的には例年以上に、しんどい思いをしての減額は、正直辛い💧


だけど、この現状を理解し、愚痴を吐くものは誰1人いません。


思考の転換です。


労賃は、お金だけでなく、その他に自分に与えられているものもあるはず。


精神的な強さだったり、今まで感じなかった人の優しさだったり…


それを心に留めて、今日も仕事に勤しみます。





終息どころか収束さえしないコロナウイルス


感染症によるパンデミックは今に始まったわけではなく、我々先祖も正体不明の感染症と戦い抜いてきたわけです。


今、有識者達は歴史的なパンデミック事例に教訓を見出そうと、いろんな本も出版されています。


似たような例としてあげられているのが、約100年前のスペインかぜ(インフルエンザ)


1918~1920年の第一次世界対戦中、米国から発症。


多くの若い兵士たちが米国→欧州へ大型船で次々と派兵される中、船内でクラスターと化し、世界中に急速に感染が広がったとされています。


新型コロナとの共通点として

○原因がウイルス
○巨大な船で集団感染を引き起こしたこと
○地球規模に広がったこと
○対策の初動が失敗であったこと


その対策として、いろいろ語られていますが、実行には至っていません。


ちなみにスペインかぜは収束までに3年程かかっています。


その間、3回の波があっています。


パンデミックの波は、後になればなるほど重症化する例が多いというのをスペイン風邪で実証されています。


つまりパンデミック津波のようなものだと。


第1波が押し寄せて収まったと思ってもまたすぐに第2波、第3波が来るというふうに例えられています。


気になるところは、当時、戦争の最中、衛生面も栄養面も悪い状態で、スペインかぜが、どのように終束していったのか?です。



スペインかぜについての興味深い内容のものがあったので記しておこうと思います。




 スペインかぜ .:*:・'°☆


当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。
そのうち2000万人~4500万人が死亡。

日本では、総人口約5600万人のうち0.8%強に当たる45万人が死亡。

参考数として 
(東京大空襲の犠牲者が10万人。日露戦争による戦死者約9万人)


日本では、前流行と後流行の二波によるものだった。


各地での凄惨な被害を伝えられています。

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福井県九頭竜川上流の山間部では、「感冒の為一村全滅」という見出し。

某集落では人口約1000人中、970人が罹患し、すでに70人の死亡者を出し、70人が瀕死の状態である旨報道されている。

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(1919年)2月3日の東京朝日新聞
東京の状況を「感冒猛烈 最近二週間に府下(当時は東京府)で1300の死亡」という見出し

警視庁の担当者談として「今度の感冒は至って質が悪く発病後直肺炎を併発するので死亡者は著しく増加し(中略)先月11日から20日までに流行性感冒で死んだ人は289名、肺炎を併発して死んだ人は417名に達し(後略)」との報道。

各病院は満杯となり、新たな「入院は皆お断り」であった。

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岩手県盛岡市は、市内の各商店、工業を休業に追いやり、多数の児童の欠席を見たため、学校の休校を招いた。
(1919年11月)5日には某小学校で2名の死者を出し、さらに6日の(岩手日報)紙面は「罹患者2万を超ゆ 各方面の打撃激甚なり 全市困惑の極みに達す」との見出し
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今の状況と似ています。


その時、医療は、政府は、どう対応したのか?


次に記したいと思います。