🏠家作り👪人作り

家や家族のダイアリーや仕事や諸々…感情の赴くままに。

地震

大阪の地震

被害が、これ以上拡大しませんように。


瞬時の出来事の判断は重大です。

さすがに家では訓練しませんから

職場や学校での訓練は侮れません。

2年前の地震の際

夜、リビングで寛いでいた時の事

息子は必死な顔で

食卓のテーブルの下に避難しました。

学校での訓練の成果だと思います。


また、震度7の1回目。

家は何の被害もありませんでした。

最近の建築基準は

耐震に強いとの事で

築3年で

それを証明された気がしました。

震度7でも被害がない丈夫さ。

地震が自信になりました。

な~んて、思っていたら…

2回目の震度7

やられました😓

外壁のクラック

タイル剥がれ

壁紙の破れ

そこでわかったのが

地震は1回だけじゃない。

余震も含め複数回起こるもの。

1回の地震による被害だけでなく

回数が重なる事による

被害の拡大を実感しました。

隣近所で声かけ合い

近くの市役所に避難。

隣接する広い公園にも車と人人人…

知らない人達との雑魚寝。

やっぱり寝むれず…

仕事もあるので

一旦、帰宅し出勤。

余震も続く中

避難所生活は1日だけで

我が家に帰りました。


でも、家より職場の方が戦争でした。

老朽化で立て替え時期だった

熊本市内の2大病院が機能せず

入院患者を退院か他院へ転院。

当院も受け入れでドタバタでした。

我が家では

大事なものを1階の押し入れに移動。

アルバムと通帳のみ。

余裕が出て来たら

あれもこれもと…

それぞれの大事な物を

リュックに詰めて。

皆、リビングに布団敷いて寝る。

枕元にはリュックを置き

いつ飛び出しても良い格好で寝ました。

最も困るのは

ライフラインが閉ざされる事。

自衛隊から配布される水を

友達と声かけ合って

毎日もらいに行くのが

息子の日課でした。

貴重な体験です。

洗い物を少なくするために

紙皿にラップを敷いて使いました。

お店も閉店。

物流が途絶え

買いたくても物が無い。

救援物資運搬車と貼られた

自衛隊の車と頻繁にすれ違う毎日。

ナンバープレートには

様々な地名。

遠い所は福島から。

車を見る度

安心感と感謝の思いで

いっぱいになりました。

物が入ると開店。

でも、あっという間に品切れで

また閉店。

臨時で、店の外に

品を陳列していたのを見つけ

何日振りに

クリームパンを買えたのを

覚えています。

最高に美味しかった~💕

爆弾こそ落ちてこないけど

現代版の戦後って感じに思えました。

地震の後は、いろいろありました。

パソコンも壊れたので

記録もしてなく

そんな余裕もないか…

今、思い出したのを

記しておこう。