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健診・日赤・西南戦争

今日、毎年恒例の健康診断を受けました。

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日赤です。


私の実習先もそうでした。
ここではありませんが神戸日赤。
娘を産んだところも日赤。産まれたのは救急の日👶


どこかで災害があれば救助活動。派遣もあります。
基本概念には、救急車(急患)は断らない。
第三次救急指定(第一、二では対応不可な重症患者)なので、全て受け入れる信念です。


日本赤十字社の発祥の地は、実はここ熊本なんですね。
案外、知られていませんが…



赤十字社が設立された歴史には、戦争が関わっています。


スイス人の青年実業家アンリー・デュナンは、1859年イタリア統一戦争の激戦地で、放置されていた負傷者の救護活動にあたりました。


壮大な戦争ドラマの「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士、その尊い生命は救われなければならない」


その呼びかけは、ヨーロッパ各国に大きな反響を呼び、デュナンは有力な仲間を得て、赤十字の誕生を実現しました。


日本赤十字社が設立されたのは、もっと後。
西南戦争にありました。


1877年(明治10年)に九州で起こった大規模の士族反乱


明治政府のやり方に強い不満を抱いた薩摩藩


ちょうど 版籍奉還廃藩置県、地租改正など、制度が大きく変わった時期であり、武士の特権が失われていく中で、士族にとって反論があったようです。


いつの時代も、新しいことを始める時は不安やリスクが伴うものです。


政府側の考えや行い、西郷どんや士族の考えや行い、誤解や間違った推測もあり、当時は、話し合うことよりも武力優先の時代だったのでしょう。


明治政府VS薩摩藩士族


激戦区となったのは熊本。
田原坂や熊本城でした。



田原坂と言う歌があります。



雨は降る降る 人馬は濡れる
越すに越されぬ 田原坂

右手に血刀 左手に手綱
馬上ゆたかな 美少年

山に屍 川に血流る
肥薩の天地 秋にさびし

草を褥に 夢やいずこ
明けのみ空に 日の御旗

泣いてくれるな かわいの駒よ
今宵しのぶは 恋でなし

どうせ死ぬなら 桜の下よ
死なば屍に 花が散る

田原坂なら むかしが恋し
男同士の 夢の跡

春は桜よ 秋ならもみじ
夢も田原の 草枕




1日に銃弾が32万発、政府軍だけでも1日平均100人の死者。それが2週間以上続きました。

雨が降り続いていた為、田原坂は、まさに血の海だったと表現されています。



そんな激戦地に生まれたのが慈愛の精神です。


敵味方の区別がない医療をと。


当時ヨーロッパで既に活躍していた赤十字のような「敵味方の区別なく救護する」という救護団体を創ろうと、佐野常民氏が、同志とともに「博愛社」の設立を政府に願い出たのでした。


しかし、当時は開戦中。


なかなか認められなかったそうです。


でも、佐野氏は意を決して熊本に赴き、政府軍の司令官である有栖川宮熾仁親王殿下に直接願い出て、ついに「博愛社」の設立許可をもらったのでした。


明治10年5月3日
日本赤十字社の前身である「博愛社」がここに誕生しました。


そして「博愛社」は晴れて熊本の地で敵味方の区別なく負傷者の救護をできるようになり、熊本赤十字病院が建てられました。


そんな理念を忘れないようにしたいと再確認した健診日でした。