5年前の思い
今では、日本全土、大きな地震が、いつどこで起きてもおかしくない感じで地震が起きています。
5年前、ここ熊本にも起こりました。
我が家を建てて3年のこと。
新しい家が傷付いてショックでしたが、命にかわるものはないと思えば、なんのこれしき。
地震のことを振り返ってから我が家のことを書こうと思います。
5年前の4月14日21時26分と
16日1時24分
震度7が2回も起こってしまいました。
1回目は、まだ起きている時間、それぞれが部屋でリビングで過ごしていた時でした。
息子は中2 リビングでTVみており、私は食卓に座って何やらしていた時
突然の激しい揺れ。
私は動くにも動けず、自分の体を支えるので必死でした。
息子は必死の顔つきで、食卓の下めがけて瞬時に移動して避難しました。
娘は高校入学して1週間。部屋で勉強中(?)
机の後部にあった大きな本棚は前方(机の方)に倒れてましたが、娘は机の下にもぐりこんでいたので、本棚の直撃を免れました。
旦那はというと、揺れがおさまるまで寝室で動けなかったよう。
私も動けなかった💧
子供達は素早く避難できており、学校の避難訓練の効果を身にしみて感じた一瞬でした。
それとともに、助からないのは体の動かない親の方かも…💧
家の被害は特になく、1回目は、その程度で済みました。
震度7と発表があった時、揺れは凄かったけど被害はそれほどなかったので
正直「へぇ~この程度なんだ」
もうこれ以上の地震はこないだろうから、大丈夫。
「地震が自信になりました」なんて、少々自然界を見くびってしまいました。
そんな気持ちをぶち壊すように、冗談じゃない、自然界の怖さを知らしめてやると言わんばかりに、今度は皆が寝静まった真夜中に、またもや震度7。
同じ震度でも、1回目と2回目とでは全く違うものでした。
暗闇の中で、皆の名前を叫んで安否確認。
皆、ビックリして飛び起きてきましたが、2階の廊下のスペースに置いていた本棚は倒れ本は散乱し廊下を塞ぎ、パイプのハンガーも壊れ、階段に落ちてきてました。
それから大きな余震が頻回にあり、家の中にはいられない状況。
近所の人と声を掛け合って、車に荷物を積み近くの市民センターへ避難しました。
市民センターにも、隣接する広い公園にも、車と人がごった返し。
一晩そこで過ごし、次の日家に戻りました。
ライフラインもストップしてましたが、ここの地区は運良くすぐに復旧しました。
でも、水道から出るのはうっすら茶色の水。
トイレや風呂には使えるけど、口に入るものには使えない。
それから、水を求めて店に行くも長蛇の列。
目の前で売り切れになったりして、何件も回りました😞
そのうち自衛隊が、市役所で給水を開始。
息子は友達と水をもらいに行くのが日課となりました。
学校は休校になりましたが、私は仕事へ。
仕事では我が家よりも戦場が待ち受けていました。
基幹病院の一つが老朽化のため、地震で倒壊し機能しなくなったのです。
入院中の患者は自宅に帰れる人は退院し、帰れない人は他機関へ転院。
周りの病院の受け入れで大わらわ。
我病院も数名受け入れました。
今は、耐震強度の新病院が建て替えられ、コロナ患者を第一線で受け入れて地域に貢献している病院です。
家でも、紙皿にラップを敷いて使ったり、店も開かず、青空市場みたいに、外に食料品が並べて営業されてたり。
久しぶりに、あんぱんを買えて食べた時の美味しかったこと😊
しばらくは、物資運搬車両と表示された自衛隊車が、しょっちゅう走っていました。
そんなこんなで、周りの助けがあって、被災地は復旧していきました。
本当にありがとうございました。