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田中角栄元首相編2️⃣

この本を借りたのは、同僚から角栄氏の人に対する叱り方とほめ方を聞き、感動したのがキッカケでした。



🤔叱る時はサシで、ほめる時は人前で


角栄氏が部下を叱る時、周りの人払いをした後に「ちょっと来い」と個室に呼びつけたそうです。


問題がある議員を呼び出すと、必ず余人を交えずサシで叱り、その議員の失態は他の人に知られないようにしていたそうです。


逆に、ほめる時は皆の前で。
「おーい、皆聞け。コイツはなかなかだよ」など、あえて人前で言い、その議員へ点数を稼がせていたそうです。


角栄氏からほめられるのですから、得意気にならなかった議員はいなかっかったそうです。


二宮尊徳の教訓歌にも「かわいくば、五つ教えて三つほめ、二つ叱って良き人とせよ」


時代が変わっても、人を育てる大きなポイントですね。



🤔名前はフルネームで覚える


例えば外で人に会った時「山田さん!」と声をかけられるのと「山田一郎さん!」と呼ばれるのとでは違います。親近感は、断然、後者に軍配があがります。


角栄氏は、皆をフルネームで覚えていたそうです。


しかし、どんなに記憶力抜群でも忘れることだってある。


そこでこんなエピソードもあります。


大蔵大臣時代、
大蔵省の課長あたりと廊下ですれ違ったりすると「おっ、佐藤一郎君じゃないか!元気かっ?」とやる。


すると、大臣がフルネームで一課長のオレのことを覚えていてくれたのか…と感慨とともに親近感を覚えるのです。


しかし、そんな角栄氏でも、姓名ともに全く名前が出てこない時があった。


角栄「やあ、しばらくだな。元気か?あんたの名前が出てこない…」


議員「渡辺ですよ」


角栄「そんなことはわかっている。じいさんが村長の頃からの付き合いだからな。ばあさんは若い頃、村1番のベッピンだった。出てこないのは下の方だ。」


議員「二郎です」


角栄「そうだ!思い出した。渡辺二郎さんだった。たしかむすこが二人いたな。もう嫁ももらっただろう」


なんてことはない。


フルネームを忘れてしまっていたのに、下の名前だけ忘れたふりしてフルネームを引き出してしまうテクニック。


これはナイス。ぜひ使ってみましょう✍️



🤔大切にしているものは…


なにより人との接し方。戦術、戦略ではない。会って話をしていて安心感があるとか、自分のためになるとか、そんなことが人と人を結びつけると思っている。


この言葉の意味は、人と接するには、まず先入観・被害者意識・敵対意識といったものを捨ててかかれということらしい。


誠心誠意で臨むなかに、人と人を結びつける新たなキッカケが生じるものだと。


人は、その人のことを良く知りもしないうちに先入観という厄介なものに縛られることがありますね。


人の意見云々より、自分の目で確かめるべし。


別の派閥の、ある議員の地方の青年達にも角栄氏の評判は伝わっており、地方から上京し「田中角栄先生にぜひ会いたい」と言ってきたことがあったそうです。


39℃の高熱を出していた角栄氏でしたが「かまわん、連れて来い」と。


40分、政治のことを諭すように話されたそうです。


青年達は角栄氏の風上に壁のように並んで立ち、角栄氏に風が当たらないよう風よけをして話を聞いたそうです。


そんな気配りも、角栄氏が先にやってこられたからこそ、ですよね。気配りのある人には気配りで返すものです。


誠心誠意は、必ず人に伝わるものです。



🤔些細な約束こそ守れ。


信用を得る第一歩。
人脈につながる。


角栄氏は几帳面な性格で、一度約束したことは、どんな些細なことでもいい加減にしたことはなかったそうです。


幹事長の時代、たびたび、社会党と渡り合ってた時のこと。


国会の控え室、バンバン電話を入れてくるそうです。委員長、書記長とも怒鳴りあっていたらしいが、けしてケンカではない。


お互い主張の違うぶつかり合い。


角栄「ここまでは譲るが、あれとこれはダメだ。考えてくれ」


譲ると約束したものは、どんな些細な約束でもちゃんと守る人だった。


手ごわかったが、相手の面子は守り、ひとつの対決が終わると、笑って会える人だったようです。


そこが強大な人脈形成の背景だったのではないでしょうか。



🤔駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋をつくる人


何のことなのか?後で書くとして…


料亭での宴会などで、芸者、仲居さんに一番歓迎される客は、明るく座持ちがうまい人に尽きます。


角栄が、まさにそれ。
サービス精神旺盛で、どこの料亭でも人気ナンバーワン☝️だったらしい。


その理由は、他の政治家達とは明らかに気配りが違っていたようです。


芸者、仲居、板場の人達から玄関番のじいさんに至るまで、心付けの配慮を欠かしたことがなかったのです。


叩き上げ人生を送ってきた苦労人なだけに、人の心の痛みは手に取るようにわかる人。


だから、単に地位などで人を判断しない平等主義者。


駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋をつくる人 が角栄氏の口癖だった。


駕籠に乗る人がどんなに偉い人でも、担ぐ人、草鞋をつくる人がいないと成り立たないと言う意味。


どんな組織も下で支える人がいるから成り立っていると言うのが、角栄氏の徹底した考えであり人生観だったそうです。


今日はここまで。角栄氏の魅力はまだまだ続きます。