田中角栄元首相編1️⃣
田中角栄(かくえ…と思ってましたが、かくえいです😅)
政治家
1947年 衆議院議員選挙、初当選
1957年 郵政大臣として初入閣
その後、大蔵大臣、通産大臣、自民党政調会長、幹事長を歴任し、日本の高度経済成長を支えた人物。
1972年 内閣総理大臣に就任し「角栄ブーム」を巻き起こした。
そのカリスマ性は、今なお高い人気を誇っている。
この人気の秘密はなんなのか?
探ってみたいと思います。
🤔責任をもつとは…
あらゆるリーダーに求められる姿勢は「伝説のスピーチ」に集約されていると言われています。
昭和37年(1962年)角栄が大蔵大臣に就任した時のこと。
大蔵省はエリート中のエリート官僚として知られています。その大蔵官僚達を前にしての就任演説です。
「わたしが田中角栄であります。
皆さんもご存じの通り、高等小学校卒業であります。皆さんは全国から集まった天下の秀才、金融・財政の専門家ばかりです。かく申すわたしは素人ではありますが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきており、いささかの仕事のコツを知っているつもりです。
これから一緒に国家のために仕事をしていくことになりますが、お互いが信頼し合うことが大切だと思います。
したがって今日ただいまから、大臣室の扉はいつでも開けておく。我と思わん者は、今年入省した若手諸君も遠慮なく大臣室に来てください。そして、なんでも言って欲しい。上司の許可をとる必要はない。
できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこのワシが背負う。以上!」
角栄44才での名言です。
初めは軽くみていたエリート官僚達も、新大臣である角栄の能力の高さに心酔したと言われています。
今の政治はどうでしょう…
不祥事があれば「私は記憶にございません」と突如、記憶喪失。責任転嫁。
いまいちど、責任について学んでほしいと思います。
🤔最大の気配りとは…
昭和50年代、北海道議出身の自民党代議士、渡辺省一。
初当選を果たし自民党各派閥へ挨拶回りの際
どこの派閥も「おめでとう。頑張ってくれよ」の激励。
しかし、田中派だけは違った。
事務所に行くと、角栄と幹部らがズラリと待っており、全員が渡辺省一調査表を睨んでいた。
的を得た質問責め。
角栄が若手議員によく言っていた言葉がありました。
「なにごとも相手に対して手を抜くな。誠心誠意、全力投球で向き合うことだ。それが最大の気配り。真の信頼関係は、そうした中から生まれる」
🤔相手に喜んでもらうなら…
角栄は、女性への気配りも抜群だったらしい。
昭和31年、まだ代議士だった頃、自分の選挙区内に舗装道路を完成させた。
その竣工式の当時の予算は60万円だったが、式の予算を30万円に切り詰めた。
残った30万円を何に使ったのか?
男物、女物のセットで和服の反物を購入。
道路完成でお世話になった建設省の役人達と、その奥さんへの贈り物だったのです。
働いた者だけでなく、その家族までも気遣われるとは、女性として感動ものです。
しかも、まだまだスゴイ‼️
せっかくもらっても、似合わなければ、ありがたみも半減する品。
角栄は「あいつにはこっちが似合う」と1人1人に似合う物を自ら選ばれたと言います。
奥さんにおいても、事前に年齢、容姿を調べあげ自ら選ばれたそうです。
誰かが尋ねた。
「こんなことまでやるんですか?」と。
「当たり前だろう。相手に喜んでもらうなら徹底的にやってあげることだ。中途半端な親切は生きない」と。
卓抜な政治力の一方でキメの細かい手法が連帯感を強めていったようです。
建設省役人の奥さん達からの評判は上々だったのは言うまでもありません。
女性戦略への気配りは必ず生きる。侮ってはいけないよと。
そう、女性を喜ばすと良いことがあります😊
🤔人はお金の世話になることがつらい
角栄の抜群な気配りの典型は、お金に関してもみられました。
選挙の季節となると資金が足らず、角栄にSOSを訴えてくる議員が多かったようです。
そうした議員の選挙活動中に、秘書を通してナニカシラ届けさせていたようです。
その時の言葉
「いいか、おまえは絶対に「これをあげるんだ」と言う態度を見せてはならん。あくまで「もらっていただく」と姿勢を低くして渡せ。
世の中、人はカネの世話になるのがなによりつらい。相手の気持ちを汲んでやれ。そこが、わかってこそ一人前だ」
渡したお金のことは一切、口外されなかったそうです。
感動が止まりません。
まだまだ、ありますが…
今日はここまで。