アルフォンスデーケン先生
6日、アルフォンスデーケン先生が、お亡くなりになりました。
ドイツ生まれで、上智大学教授。
日本に死生学を広めた方です。
学生時代、成績優秀だった為、校長にナチの指導者養成学校に推薦されたが、一家で反ナチス運動をしていたため断ったとのエピソードがあります。
8歳で4歳の妹と死別し、12歳で祖父が連合軍兵士によって射殺されるのを目撃、23歳で身寄りのない末期がん患者をみとる体験をしたことから「死」を哲学的に探究する道へ。
私が看護の道に踏み入れて間もない頃、先生の講演会に行ってお会いしたことがあります。
そんな昔のこと、良く覚えているな~と思うくらい遠い昔。
難しい内容にもかかわらず、ユーモアを交えられ、面白かった記憶があります。
その時に買った本が「ユーモアは老いと死の妙薬 死生学のすすめ」
日本ではタブー視される死ですが、職業柄、避けては通れません。
死の宣告を受けた本人、家族、それに携わる人達へ、どう向き合っていったらよいか考えさせられる内容です。
でも、日本では、以前は告知していませんでした。
私が20代の時、家族にだけ告知して本人には伝えないことが多かったです。
もちろん気づいていた人もいましたが、本当のことは言えませんでした。
そんな状況が果たして良いのか?疑問に思う気持ちもあって、看護研究に、告知をすべきか否か、取り上げたこともありました。
その後、きちんとした治療をすれば治るガンも増えてきてからは、積極的治療をするために告知するし、治療が難しくても、末期であっても、告知して、余命をどう生きるかという考えに変わっていきました。
だって自分の命ですから、自分が熟知して自分が決めるのは当然のことですね。
告知されても治療で治るなら良いです。
問題は治療しても治る見込みのない人や治療の施しがない人。
1960年代にイギリスのホスピス(ガンなど末期患者向けの医療施設)が、欧米に広がりました。
日本では1980年代以降ですから、ここ30年くらいです。
ターミナルケア、緩和ケア、ホスピスという治療を目的とせず、痛みや苦痛から解放され、穏やかに最期を迎えられる場所が存在しました。
ここに至るまでも簡単ではありませんが。
病気により余命宣告された人がたどる心理的プロセスがあります。
否認、怒り、取引、抑うつ、受容の5段階。
否認から抑うつまでの間には、怒りや、避けられない死への抵抗、恐怖や不安などが言動となって表れて、本人、家族など周囲の人間にとっても苦しい時期があります。
受容してからも、揺れ動くことだってあります。
周りにできることは、寄り添うこと。
そこに、少しのユーモアがあって、笑顔が見られれば…
アルフォンスデーケン先生のご冥福をお祈りいたします。