高校サッカー選手権 決勝
今日、成人式ですが延期となり、仕事と買い物以外は外に出ない生活です。
息子「やばっ」と言いながら、全国レベルの高い試合に見入ってました。
青森山田VS山梨学院
もう互角の戦いです。
延長戦からPK戦へ。
青森山田が一人止められ、一人外して、山梨学院の優勝となりました。
優勝が決まって喜びあっている山梨学院チーム。
青森山田も頑張りました。
あのPK戦の緊張感は、どれだけのものでしょう。
責任感MAX
キーパーはとめるしかないし、相手は入れるしかない。
そこで、止められたり外したりした選手は、やはり泣きますね。責任感ゆえの涙💧
そこで外した選手を仲間が受け入れることこそが良いチームの証。
この世は全て点数方式。
同点なら同じ順位になるのが許される場合もあるのだけど、スポーツなど力量においての順位は、必ず勝負をつけなければならないのですね。
そこがスポーツの厳しさなんだと感じます。
積雪
やばいです💦
こんな日の出勤は苦手です💦
スポーツ正月⚽🏐🏃
お正月の残りもので、スーパーは安売り。
豚肉、牛肉、共に1kgで980円😱
もちろん外国産ですが、我が家にはありがたい。
国産の霜降り肉なんて、子供達が大学卒業するまで買えそうにありません。
1月はスポーツが盛り沢山。
⚽高校サッカー選手権大会
年末から開催され、すでにベスト4が決まってます。
県代表のルーテル学院は、31日、丸岡に1-0で、すでに敗退。
あのフリーキックさえなければ…との思いは虚しく…負けは負け。
スタメンの中には、息子と同じ小学校だった子もいて、県大会ではライバルだったけど、全国大会になると、味方です。
🏃駅伝
箱根駅伝はお正月の風物詩ですが、これは大学生。
高校生だと、全国高校駅伝大会です。
県代表は九州学院。これまた、アンカーは息子と中学まで同じ学校の子。中学まで、サッカーをやってました。
🏐バレーボール
実は私の憧れのスポーツ。
中学の時、我が校であった試合を見てハマりました。とにかくカッコいいし、めちゃめちゃ面白い。
バレーボール部に入れば良かったんじゃ…
すでに陸上部に入っていたし、あのアタック、レシーブ、見る方は良いけど、受ける身を考えた場合、死にますね😨
もし陸上部に入ってなくても、入る勇気はなかったです。
代表的な大会は、全日本バレーボール高等学校選手権大会 略して春高バレーと言われてます。
県代表、鎮西高校。
ここにも中学まで息子と同じ学校の子がおり、これまた小学校の時まで同じサッカー部だったのです。
驚きました。
駅伝もバレーボールも、あくまでも我が県の代表ですが、そのチームの中心となって活躍している選手は、以前にサッカーをやっていたのです。
サッカーって、何か他のスポーツにも通じる何かがあるんだろうか?
それとも、サッカーに限らず、全てのスポーツが、そうなんだろうか?…と。
皆の活躍を期待しつつ、TVで楽しんで観戦したいと思います。
新年
明けましておめでとうございます🎍
実家で過ごした2泊3日。
料理は全てやるつもりですから、材料持参です。
大晦日は、夕食とお風呂を早めに済ませ、恒例の年越しそば。
食べながら紅白見ます。
紅白終わるまでもたず睡眠タイムへ。
今年の年末、寒かった~🥶
あまりの寒さに、実家に電気毛布を購入してきました。
お正月の朝は早く、お雑煮作りとおせち作り。
また、私の初詣は、我が家の先祖に手を合わせること。
なので…神社や神宮には参拝しなくなりました。
だから、新年には着飾ることなく、ジャージ姿😅
おせち料理は、オーソドックスな素材ばかりですが、実家に行くとちょっと普段食べれない食材もあるから楽しみです😆
今年は牡蠣と苺がありました。
皆、大好きな栗きんとんはたくさん作るので重箱一段を占めます😆
しっかり食べて健康でありましょう。
では、今年もヨロシクお願いします🙇♀️
良い年を~
年の瀬の慌ただしさ。
やることが多いですね。
ちょっとのキムチ(きもち)で、キムチ配りも終え、年賀状も出しました。
娘バージョン
成人式、延期の連絡。
1月下旬に決まるようですが、開催されるかどうか…せめて写真だけでも😅
息子バージョン
ケガで出れなかった2人の友達のユニフォームと共に。
今年もあと3日で終わります。
このご時世、親も元気なら年末年始、移動せず、各々に過ごすところですが、そうもいかず。
移動してきます🚙
来年は、少しでも落ち着いてほしい。
また、ここに来て下さった方々へ、ありがとうございました🙇♀️
良い年をお迎え下さい🎍
来年は良い年でありますように🐮
クリスマスにキムチ
今日は、今年最後の夜勤です。
もう年内に会えない職員もおり、皆、疲れているので、スタミナつけて少しでも元気が出るよう、皆大好きなキムチをあげようと思い立ちました。
朝からせっせとキムチ作り。
一つまるごと、頑張ってみます。
きれいな白菜です。
カットして塩でまぶして3時間後、水洗い。
ニンニクは大事大事。
白菜の上に、大根、ネギ、すりおろしニンニク、しょうが、いかの塩辛、唐辛子。
混ぜきれないくらいになったけど、ゆっくり下から優しく混ぜると全部に混ざりました。
ジップロックLサイズ3袋、Mサイズ5袋出来ました。
今日はクリスマス。
クリスマスプレゼント❓にキムチを配ってきます😆
Merry Christmas🎄✨
クリスマスイブ、クリスマスと準夜、夜勤と仕事三昧。
昨日は、緊急が重なり、超忙しく体も心も疲れ果て帰宅したら…
寒気と倦怠感におそわれ、ん?なんかヤバくない?熱が出そう😖とにかくキツイし…💧
今朝はキツくて起きれず、9時過ぎ起床。
熱は無い。鼻水鼻づまりに、喉の乾燥。風邪みたい。これで熱でも出たら、間違いなくコロナ扱いだろうな。
昼から仕事に行き、葛根湯飲んだら元気になりました。
良かった~😊
今日は22時30分に帰宅するとセブンのチキンとケーキが待ってくれていました。
もっと元気になれました😊
スペインかぜとコロナ(続)
約100年前に世界中大流行したスペイン風邪。
当時、日本政府はどう対処し、どのように終息したのでしょう?
予防策
○病人または病人らしい者、咳する者に近寄ってはならぬ
○たくさん人の集まっているところに立ち入るな
○人の集まっている場所、電車、汽車などの内では必ず呼吸保護器(マスク😷)をかけ、それでなくば鼻、口をハンカチや手ぬぐいなどで軽く覆いなさい
罹患した場合
○かぜをひいたと思ったらすぐに寝床に潜り込み医師を呼べ
○病人の部屋はなるべく別にし、看護人の他はその部屋に入れてはならぬ
○治ったと思っても医師の許しがあるまで外に出るな
基本的には今と同じ内容です。
そして同じく、各地での集会、興行、力士の巡業や活劇などは中止、閉鎖されていったようです。
また、全く参考にならない今との違いは、当時の医学。
スペインかぜの原因が細菌であるとの誤認。
でも仕方ないことなんですね。人々は、まだウイルスを知らなかったのだから。
ウイルスを見ることができる電子顕微鏡が無かった時代の話しです。
対策として、北里研究所などが開発したワクチン?(とは言えない)予防薬を接種し、その効果がどうであったか発表されていたようですが…
全くの無意味な対策だったのですね。
今でこそわかること。当時の技術ではそれが限界だったようです。
正体もわからず、間違った医療を施しても、ウイルスは自然に鎮静化したのはナゼなの❓
スペインかぜであるH1N1型ウイルスが、日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだそうです。
スペインかぜにかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからだそうです。
なんとも、残念な結論になってしまいましたが💧
現代は、原因はハッキリわかっていますから、100年前みたいなことにはなりませんが、言えることは、医学の進歩と共にウイルスも進化しているということです。
私達も、それなりに環境を整えていきましょう。
さあ、お掃除しよっと🧹
スペインかぜとコロナ
今冬のボーナス、例年よりかなり減額。
精神的には例年以上に、しんどい思いをしての減額は、正直辛い💧
だけど、この現状を理解し、愚痴を吐くものは誰1人いません。
思考の転換です。
労賃は、お金だけでなく、その他に自分に与えられているものもあるはず。
精神的な強さだったり、今まで感じなかった人の優しさだったり…
それを心に留めて、今日も仕事に勤しみます。
終息どころか収束さえしないコロナウイルス。
感染症によるパンデミックは今に始まったわけではなく、我々先祖も正体不明の感染症と戦い抜いてきたわけです。
今、有識者達は歴史的なパンデミック事例に教訓を見出そうと、いろんな本も出版されています。
似たような例としてあげられているのが、約100年前のスペインかぜ(インフルエンザ)
1918~1920年の第一次世界対戦中、米国から発症。
多くの若い兵士たちが米国→欧州へ大型船で次々と派兵される中、船内でクラスターと化し、世界中に急速に感染が広がったとされています。
新型コロナとの共通点として
○原因がウイルス
○巨大な船で集団感染を引き起こしたこと
○地球規模に広がったこと
○対策の初動が失敗であったこと
その対策として、いろいろ語られていますが、実行には至っていません。
ちなみにスペインかぜは収束までに3年程かかっています。
その間、3回の波があっています。
パンデミックの波は、後になればなるほど重症化する例が多いというのをスペイン風邪で実証されています。
第1波が押し寄せて収まったと思ってもまたすぐに第2波、第3波が来るというふうに例えられています。
気になるところは、当時、戦争の最中、衛生面も栄養面も悪い状態で、スペインかぜが、どのように終束していったのか?です。
スペインかぜについての興味深い内容のものがあったので記しておこうと思います。
スペインかぜ .:*:・'°☆
当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。
そのうち2000万人~4500万人が死亡。
日本では、総人口約5600万人のうち0.8%強に当たる45万人が死亡。
参考数として
(東京大空襲の犠牲者が10万人。日露戦争による戦死者約9万人)
日本では、前流行と後流行の二波によるものだった。
各地での凄惨な被害を伝えられています。
〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️
福井県九頭竜川上流の山間部では、「感冒の為一村全滅」という見出し。
某集落では人口約1000人中、970人が罹患し、すでに70人の死亡者を出し、70人が瀕死の状態である旨報道されている。
〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️
(1919年)2月3日の東京朝日新聞
東京の状況を「感冒猛烈 最近二週間に府下(当時は東京府)で1300の死亡」という見出し
警視庁の担当者談として「今度の感冒は至って質が悪く発病後直肺炎を併発するので死亡者は著しく増加し(中略)先月11日から20日までに流行性感冒で死んだ人は289名、肺炎を併発して死んだ人は417名に達し(後略)」との報道。
各病院は満杯となり、新たな「入院は皆お断り」であった。
〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️
岩手県)盛岡市は、市内の各商店、工業を休業に追いやり、多数の児童の欠席を見たため、学校の休校を招いた。
(1919年11月)5日には某小学校で2名の死者を出し、さらに6日の(岩手日報)紙面は「罹患者2万を超ゆ 各方面の打撃激甚なり 全市困惑の極みに達す」との見出し
今の状況と似ています。
その時、医療は、政府は、どう対応したのか?
次に記したいと思います。